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 眠ったような父ですが、周囲ではたくさんの人たちが実家の掃除、片付けをしてくださっていました。
大きな家ですが、二人暮らしでそう物はありません。

でも 葬儀の場所が決まらないので、家で執り行うことになるかも、とあちこち片づけが始まっていました。

近所の人たちが 次々に手伝いに来てくださるのはよいのですが、みんなびっくりして、泣きながらの訪問です。



私が知らない間、父母の暮らしぶりを気にもかけない間、両親は本当にたくさんの人とつながっていたようです。
病気がたくさんあるので、もっと家にいるのとばかり思っていましたが、本当にあちこち出かけ、母が婦人会や女性会などの活動や大正琴、ボランティアなどをするのに 足代わりとなり、そこでもたくさんの人とつながっていたようです。
 小学校でも登校時の立哨をしたり、地域のおじいさんとしていろんなことを教えに行っていたようです。

地区でもいろんな会議の仲介をしたり、中でも民生委員として長年活動していたことで、退職後の父は地域の人たちと、本当にたくさんたくさんつながっていたようです。

…そのことは のちのお通夜の席でも びっくりするようなことが続き、あとからあとから知らされたことでした。



弟への連絡は母は私がしてくれるものと思ってて、私は当然真っ先にしたであろうと思ってて。。
結局 その時に私から電話をしました。
弟は仕事でとても難しい状況にあり、責任者として重大な局面を迎えている真っ最中でした。
土曜日ですが、職場にいて。。。
父が亡くなったことを伝え、急いで帰るように言ったのですが、その後身動きできなくなるであろうこともあって、昼過ぎに大阪を発つようになりそうでした。

とりあえず葬儀の場所決め。。。
家で行っても良いのですが、母が「じいちゃんが 最近あちこちの葬儀に行って、(家での葬儀は)暑かったり寒かったり、で椅子じゃし、会館がいい、っていいよった」とのことで、葬儀は一応会館で行うことにしました。

以前積み立てをしていた(20年近く前に。弟の挙式用に)ところに連絡を入れると、偶然にも母の教え子が担当、とのことでやってきました。
 喪主は弟なので、帰ってくるのを待つしかないのですが。。。。

そんなこんなで、いきなり父を亡くした母も 呆然とした中でバタバタと事(こと)は進行し、母も心ここに有らず。。。と いう感じでした。

幸いにも、翌日が友引で 講中の皆様には迷惑な話ですが、私たちにとっては父と一日長く過ごすことができる時間が与えられました。
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ちょっと書いて残しておかなければ。。。。

ブログの性質上、日にちが前後になってしまいますが、これを書いているのは9月20日(水)です。

でも 父の亡くなった日が9月3日なので、その日の日付で そこからバタバタした日のことを さかのぼって少しずつ書いていきます。


何の予定もない土日。
貯まった仕事がかたずけられると、いつもののんびりした土曜日の朝でした。

ちょっとネットでドラマでも。。とその時。
「広島のじいちゃんが亡くなったって!!!」と大きな声。

(母は、父の携帯を使って真っ先に私の電話にかけたようで。。。でも不思議なことに そこには発信履歴はあっても、私の携帯には着信履歴はなかったのです)

びっくりして電話。
母はあわてた声で、
「さっきまで 何ともなかったのに、倒れて。。。」
私は 近くにある、かかりつけの病院への連絡の確認の有無と、叔父への連絡をした、とのことを受け、
「私はもう電話しないから、じいちゃんのそばにいて!」と 電話を切り、何を持って行ってよいのか、適当なものを詰め、旦那と大慌てで車に乗りました。

萩の娘にも連絡。
珍しく起きていて。。。
じいちゃん大好きな娘に、亡くなったって告げて運転させるのは不安だったけど、喪服の有無も気になったので
「できるだけすぐにそっちを出て、うちに帰ってきて。喪服もいるから」とだけ電話。
さすがに娘も何事か!?と不安になったようですが。。。。

彼女が我が家に帰ってくるのと、こっちが実家に帰るのと大体同じくらいでした。
娘にかけると義母から事情を聞いたようで、すでに涙声でした。

実家の父は病院の方々が来られ、処置も終わり、布団の上に寝ていました。
いつもの寝顔とまったく変わりなく、本当に、本当に眠っているようでした。

亡くなっているんだな。。と思うのは、息をしていないことだけでした。



台風が来る、という朝、朝ご飯を普通に食べ。。。
この日は いただきもののパンや梨を「おいしいのぅ」と言って食べ。
田んぼのあたりを軽トラックでぐるっとまわり。

上の方にイノシシが出た、とのことでイノシシ除けの鉄線をはる、と出かけたそうです。
母は「台風が来るから、あとでもいいじゃない」というのに「今やらないといけない!」と強い口調でいい、出かけ、さすがに病気をたくさん抱えている父は その鉄線の巻いたものが重たかったらしく、数メートルで「重いわいや」と 帰ってきたようです。

 帰っていつもの台所のテーブルで、酸素を吸いながら、漢字パズルをしていたところまで。
その ほんのそばで母は 乾燥機から出した洗濯物を畳んでいたその時。

異常なほど大きい音がして。
それは父が椅子から落ちた音で、もう、到底生きている状態ではなかったそうです。
心筋梗塞か、とニトロを飲まそうにも、もう素人目にも亡くなった人だったそうです。

それから病院、叔父、私へ、と電話をしたようです。



父は脳梗塞の発作を2度しています。
でも、すぐ近くの脳外科のおかげで、何の後遺症もなく、普通に暮らすことができていました。
心筋梗塞については 10年近く前の腹部大動脈りゅうの手術前にも2回風船を入れて治療に努めましたが、血管の改善はできていない部分が多く。
また、肺気腫で。。。
それらのために、数年前から自宅では酸素を時々吸っていました。

私は 父は肺気腫になって、徐々に弱っていくかな。。それを看病しなきゃ。とか、あるいは最悪、心臓発作を起こしてしまうかもしれない。。。AEDがあればいいのに。。。母一人でその場にいたら大変だろう。。。とか、漠然と考えていました。


でも、一番想像していなかったのはこういう別れ方で、何も言わずに私たちからいなくなってしまった父に、何が言いたかったのか 聞きたいし、伝えたかったことも伝えられてなくて、そのことが、これからずっとずっと悲しいと思います。。。



管理人

Author:管理人
元々のめり込みやすい性格ですが、ここ数年のマイブームは「韓国」。
 でも、ここには韓国ネタ以外の여러가지(色々)を書きます。

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